Interview

舞台空間を構成する空間と時間と身体、
それをどのように混ぜ合わせるかが大事だと思う。

小池博史

異分野の芸術を融合させて新たな作品を生み出すパフォーミングアーツカンパニー、パパ・タラフマラ。その歴史は四半世紀を超え、30以上の国で上演を行っている。ULTRA FACTORYとのコラボレーションのために、京都を訪れた創設者/監督に話を聞いた。

取材:ULTRA FACTORY PRESS(多田智美、金岡香加里、新開のり子、世古真倫、足立帆奈美、久保田佳克)
文:久保田佳克 写真:世古真倫、林里佐子

ヤノベケンジとの協働

―2008年10月に東京のグローブ座で『ガリバー&スウィフト 作家ジョナサン・スウィフトの猫料理法』を上演されましたね。舞台美術を現代美術作家のヤノベケンジさんに依頼したのはどういう経緯だったのでしょうか。

僕がいちばん面白いって思ったのはヤノベさんの考え方。チェルノブイリにアトムスーツっていうものを着て入っていった。これはすごい逆説なわけですよ。当時、旧ソ連は原子力でもって未来を開拓しよう、明るい希望の技術にしようとしていた。ところがその希望の象徴のような場所が原発事故によって永久に誰も踏み込めない場所になってしまった。そういう悲劇、皮肉なことが現実には起こる。そこに対して再び希望を見出すためにアトム型のスーツを着て入っていく。それは皮肉なんだけれど、すごくまっすぐなことだと思うんです。皮肉に皮肉で抗うというような。嫌な気分にもなるけど、過酷な現実もきちんと見ないと次のステップに僕らは行けない。逆説なんだけれども王道で重要なのはその考え方なんです。それが僕の作品でやろうとしていることにピタリとはまるなと思ったのです。考え方ってひとつの技術だと思うから。

―ヤノベさんは6月に小池さんが行った身体のワークショップに飛び入り参加されたんですよね。

美術家では初めてじゃないかなあ。精神の自由度がないとできないことだと思う。精神の「自由」ってものと実際的な「制限」、今後自分たちがどう生きていくかと考えるとき、どういう風に自分たちの制限と折り合いをつけて、自分たちの自由を造っていくか。それが問われると思う。そのあたりを踏まえて果敢に挑戦するというのは美しくもある。

―実際に初めてヤノベさんを見たときの印象は?

ヤノベさん本人に初めて遭遇したのは、大阪で開いた個展『トらやんの大冒険』を観に行った2007年12月です。作品っていうのは結局「人」だから、どういう人であるかはどういうものを作っているかによって想像できる。それから初めて面会して、あぁ一緒にやる人だなと思った。こういうのは最初に見たときの印象で決まると思う。初見でだめだなあと思ったのにあとで大丈夫っていうのはあんまりなくてね。だいたいぱっと見て、ひとこと話した感じで大丈夫と思えば大丈夫なんだよね。

観た人が何かを発見すればいい

――パパ・タラフマラの舞台は、童話や神話などをモチーフにした作品が多いですね。

いま、僕たちが必要としているものとは何か、どういう社会を築くのか、どういう地球の未来を作るのか考えるとき、当然ですけどやっぱり人間中心の考え方になってしまう。そうではなく、他の動物や植物といかにして関係を維持していくのかということを考えなきゃいけない。そんなときに神話的なものの見方が必要になってくると思うのです。神話では、犬や猫が出てきてそのまま人間と交流したりする。魚でも人間でも動物でもみんな対等に話をしていたりする。それがいま、現実の世界で起こっている様々な事象をいろんな意味で象徴したり、あるいは解決策を考えるヒントになったり、観る人次第でどんなふうにも見えたりする。答を示すようなことはしないけれど、舞台を観た人が何か発見すればいいとは思っています。また、童話の世界は非常に神話化しやすい。だから神話的なものを作ろうとしたときに、童話っていうのは僕にとって都合がよい。それと同時にやっぱり面白いと思うからですね。

―以前に「台詞は表現の一部でしかない」とおっしゃっていましたが、あまり重視はされていないのですか。また、舞台という空間をどのように捉えていらっしゃるのでしょうか。

言葉を発する身体も、言葉を発しない身体もある。言葉を中心に考えているわけではないですね。例えば音楽を聴く場合、音の強弱や変化を感じ取ることによって、ひとつのドラマが自分の内部にできあがっていく感じがするでしょう? たぶん、あれと同じようなことですよ。音がひとつのドラマを生んでいく。同じように身体の動きがドラマを生んでいく。頭の中だけで処理しようとするのではなくて、本来持っているはずのいろんな感覚をどのように使うのか、表現していくのかっていうことに僕は興味がある。だから身体なのです。
舞台空間を構成する大きな要素としての空間と時間と身体、それをどのように混ぜ合わせるかっていうことが大事だと思う。それ以上でもないし、それ以下でもない。例えば扉を開けるとする。すると、空間が変わる、時間が流れる、そこに身体も絡んでくる。そういうひとつひとつのちょっとしたことで舞台の上の空間が変わっていく。その変容を目の当たりにするのが面白いんですよ。のめり込めばどんどん思いどおりに変えたくなっていく。

―映画や映像作品だと何回も編集して、思い通りのものになるまでとことん追求して作りこむことができますよね。そうではなく生でやることの意義はなんでしょうか。

人間は思い通りには生きられないですよね。舞台の場合も同じで、常に変化している時間の中で、どう求める形に磨き込んでいけるのかというのが特に問われるのです。毎回、同じになんてできない。必ずどこかがすごく良かったり、どこかが駄目だったりするから。何もかも完璧な最高のパフォーマンスをやりつくした、なんてことはあり得ない。仮にそれができたとしても、翌日にも公演はある。でも、それが僕らの社会なんだよ。一方向にだけ向かっているわけでなく、常に変わっていく。でも、だったら修正も叶うはず。いつも良いほうへ進んでいればいいけれど、そうはいかない。失敗したり、ときに悪いほうへ行ってしまうことがあったりしても変えられる。人はそうやって生きているっていうことの、ひとつの証になるんじゃないかなと思っているんです。そして、なんといってもそれが舞台をやる醍醐味でもあるから。

全体を見ながら作品を磨きこみたい

―稽古、指導を受ける側からすると非常に厳しい存在だったという話を耳にしたのですが、なにか武勇伝があれば教えて下さい。

武勇伝はあまりないです。シャルル・ド・ゴール空港にいたときに銃撃戦が突然始まって、その真ん中にいたことがあります。両方から撃たれるような位置だったから、まぁじっとしているしかないですよね。あとは、ピストルを突き付けられたことが3回ぐらいあります。南米とかメキシコ、アメリカ、香港かな。
作品を作る上でだと、ダメ出ししすぎて役者が鬱病になってしまったことがあります。10年くらい前までは思った通りにやらせないと気がすまなかったですね。それで鬱病になった役者も何人かいたし、倒れちゃった人もいた。でもここ10年ぐらいでずいぶん変わってきたかもしれない。丸くなったっていうか。「責任持ってね」って言いながら、ある程度は任せてやっていったほうがいいって思うようになりました。育てるという意識が芽生えてきたのかな。10年前から、8年間ぐらいつくば市の芸術監督(現・舞台芸術監督)を務めていたことがあって、そこで結構、役人と意見が合わないことがあって。最初のころはガンガン言いたいことを言っていましたが、言えば言うほど居場所がなくなってきちゃう。これでは駄目だなということで、うまく丸めこんでいくっていうやり方を考えるようになった。ちょっとだけ柔軟になったというか。

―小池さん自身が舞台に立って表現することはないのですか。

5年前に約23年ぶりに舞台に出ましたよ。ほとんどソロで。なぜかというと、作品を作っていく側として常に人を動かしてきたので、舞台に立ったときの自分の身体性をもう1回確認したいと思ったのです。それは例外として、あまり出たいとは思わないです。それよりは、自分が全体を見ながら作品を磨きこみたい気持ちなのかなぁ。

こいけ・ひろし

パパ・タラフマラ芸術監督。演出家、振付家、作家、写真家。1982年、パパ・タラフマラを設立。以降、全50作品の作、演出、振付を手掛ける。その作品群は、演劇、舞踊、美術、音楽のジャンルを超えた「新しい舞台芸術」として強いオリジナリティに溢れている。ヴェネツィア・ビエンナーレ、ネクスト・ウェーブ・フェスティヴァル、ベルリン芸術祭などの海外主要フェスティバルに参加する一方、世界の一流劇場からの招聘公演を毎年実施し、世界30ヶ国以上を駆け巡り、国際的に高い評価を確立。95年にはパパ・タラフマラ舞台芸術研究所(P.A.I.)を設立し、若手パフォーマーの育成に力を入れている。
小池博史ブログ http://kikh.com/
パパ・タラフマラ公式ホームページ http://www.pappa-tara.com
ガリバー&スウィフト特設ページ http://www.pappa-tara.com/gs/